小さい頃、大好きなぬいぐるみあった。
「にゃにゃ」って言う名前で猫の少し大きなぬいぐるみだった。
ある日、突然お別れしなきゃいけないって母親に言われ、ショックでショックで大声を上げて泣き叫んだ。ぬいぐるみを抱き締めて、誰にもとられまいと。
「嫌だよ」「どうして捨てなきゃいけないの?」「他のはいらないからこれだけは!!」
何度もゴミ箱から取り出し、抱き締め、
「嫌だ嫌だ」と泣き続けた。子供ながらに精一杯の抵抗だ。
だって嫌な物は嫌なんだもん。
唐突の別れだった。
確かにぬいぐるみの頭は禿げ、腕はもげそうになっているのをなんとか縫って、繋ぎ止めてもらっていた。もうその子はボロボロだった。
「新しいの買ってあげるから」
そんな言葉に意味があるのだろうか?
新しいのじゃダメなんだ。これがいい。これじゃなきゃダメなんだ。
自分にとって代わりに値するものなんてないって思ってた。
案の定新しく買ってもらった猫のぬいぐるみは全然覚えていないのだけど。
大好きなものは「ダニの宝庫」と呼ばれ、自分の気持ちが整理つかないまま捨てられてしまったのだ。
その時の記憶は鮮明に覚えている。
そんな強烈な思い出って誰にでもあるんじゃないだろか?
今、大人になって捨てるタイミングを自由に選べるようになった。強制的にじゃなく、自分がふとしたタイミングで。
だけども、昔誰かの理由で「こうしなければいけない!」って何度も言われ
いつしか子供の頃泣きじゃくって、誰かに言われるままにやるなんて嫌だ!!
『好きか嫌いか分からない物をギュッと握りしめて、これは必要なものだ!誰にも触れさせない!』
って思い込んでいないかな?とも思うんだ。
実際私がそうだった。そう言う記憶が強ければ強いほど、人って囚われると思うんだよね。
だからそれが本当に「必要なものなのか」「必要なものじゃないのか」判別できなくなる。
唯一動物で感情に左右されるのが人間。そんなことは恥ずかしくも何ともない。
だけど自分が選べば、世界は好転する。
大丈夫なんだ。そんなん当たり前だし、怖くも何ともない。
過去に縛られるほど、愚かなものなんてない。
生まれてきた時は皆何も持ってなかったんだと思うんだ。
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